理系パパのカメラ奮闘記

2児の父親。理系の視点でカメラを勉強します。

【物理編】光の速度が絶対的なものであるならば、時間は確かに相対的なものである

海外出張からの帰りの機内であらかじめkindleでダウンロードしておいた英語の参考書を開いた。英会話の必要性をひしひしと感じたからだ。

しかし30分後には別でダウンロードしておいた一般相対性理論」、「量子論」の本を読み漁っていた。そしてそれらは数学的には理解しきれなかったが、非常に知的好奇心をくすぐり、一気に読み終えた。

どうやら根っからの理系であることを自分で忘れていたようだ。

 

なぜこんなことになったかといえば、ちょっと前にカメラの撮影素子ってフォトダイオードだよなという当たり前の事実に思い当たり、今更調べてみたら「フェルミ準位」という過去勉強したことがあるような気がするキーワードに行き当たり、これって量子力学から来ているんじゃなかったっけという正しいか間違っているかわからない記憶が呼び起こり、量子力学って定性的にもちゃんと自分で考えたことなかったよなとはっとなり、アインシュタインって量子論を毛嫌いしていたんじゃなかったっけという誰でも知っているような雑学を思い出し、ちょっと調べてみるかということになったからだ。

つまり、カメラの勉強から相対性理論量子論を勉強してみたいという知的好奇心につながったということだ

 

ということでここで記載するのは間違っている情報はざらにあると思うので注意いただきたい。もし興味を持ったら自分で調べてみるほうがいい。それが勉強というものだと思う。

 

 

まず大学時代から。

光の速度が不変であるというのがあまりピンと来ていなかった。
また、宇宙で最も速い物質は光であるということも腹落ちしなかった。
アインシュタインのような天才や偉人がどこかで勝手に発見したことだと思っていた。

でも今再度見返してみると、細かい式は理解するのは難しいとしても定性的にはわからなくもない話だった。
真理はこう告げている。人間のちっぽけな考えにと囚われた常識は捨てろ、と。

 


自分たちは普段「時間」と「空間」は絶対的なものだと思っている。少なくとも自分はそうだ。当たり前だろう。「空間」が歪んだらドラえもんのどこでもドアみたいなどこでも行けるし、時間が巻き戻ってしまったらそれこそSFの世界だ。でも、時間が巻き戻ることはないにしろ、時空は絶対的なものではないというのが事実らしい。

 

マイケルソン・モーリーという実験がある。光の速度が不変的なものであることが示された有名な実験である。

ここでは実験の詳細には触れずに光の速度が不変的なものであるという結果だけを述べる。

速度の単位は[m/s]、つまり距離を時間で割ったものである。光が同じ距離を進んだときに誰が見ても速度が一緒ということは、分母である時間が相対的な値となるしかない

例を出す。

光の速度をC[m/s]とする。

Aさんが電車内で光を上に発射し、ちょうど一秒後に反射して戻ってくるとする。Aさんにとっては光はC[m]進んでいる。至極当たり前のふるまいである。

しかしここで電車に乗らずに外から光を見ているBさんがいるとする。Bさんが同じ光を見た時、電車が進んでいる分光はC[m]以上進んでいることになってしまう。だが、実際はあり得ない。光は不変であり、光より早い物質は存在しないのだ。

距離「m」が違うのに速度「m/s」がイコールということは、残りの時間「s」が相対的な値にならなければならない。常識にとらわれなければこんなこと中学生でも思いつく。相対性理論アインシュタインが発表しなくても数年後には別の人が発表していただろうという見解を何回か本で見たことがあり「んなばかな」と考えていたのだが、定性的にはそうかもしれないと思うようになった。

動いているものの時間は遅くなるのだ

 

 

実際、相対性理論GPSに応用されている(GPS衛星は高速で地球を周回しているため、相対的に時間が遅くなる。補正しないと距離にして7~8kmずれるらしい)。

 

 

天動説しかり、基本人間は人間の立場でしか物事を見れていないし、できれば見たくないのかもしれない。だが、おそらく世の中はそんなに単純なものではない。

中途半端におじさんになった今、自分の人生観と相対性理論量子論が少し近づいてきた気がする。

世の中は「揺らいでいる」のが真理なのだ量子論は確実に哲学の世界だ。中途半端に勉強するとケガをする。

いや、ホントの話。。

 

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